礼拝
渡部信
常盤台バプテスト教会 2022.12.18 主日礼拝 「神の子羊・イエス・キリストの到来」渡部信牧師【ヨハネによる福音書 1章29~34節】(新共同訳 新約P.164)
- 音声メッセージ
礼拝終了後掲載いたします。通信料が心配な方はこちらからご視聴ください。- 礼拝プログラム
- 前奏
招詞 イザヤ書 60章19~22節 司式者
祈祷 司式者
賛美 新生149番「来れやインマヌエル(A)」1.2.5節
献金感謝 司式者
聖書 ヨハネによる福音書 1章29~34節
特別賛美 第一礼拝:新生160番 ”天なる神には” 1.3.4番 聖歌隊女声
第二礼拝:”Celebrate” シャイン
宣教 「神の子羊・イエス・キリストの到来」渡部信牧師
祈祷
賛美 新生154番「生けるものすべて」1.2.4節
頌栄 新生669番「みさかえあれ(B)」
祝祷
後奏 - 宣教概要
- イエス・キリストの到来はメシアの到来として告げらました。クリスマスを前にしたこの日曜日礼拝では、その救い主の到来の意味を深く考えながら、祈り心を持ってクリスマスの時を待ちましょう。ヨハネ福音書を読みますと、先駆者バプテスマのヨハネは、イエスが彼のもとに来るのを見ると、イエス様を「見よ、世の罪を取り除く神の小羊」と叫ばれました。「神の小羊」とはどういう意味なのでしょうか。小羊とは、当時、罪の汚れを取り除くために、無垢なかわいい小羊を、捧げものとして焼き尽くすことによって、人々の罪を取り除くという信仰をユダヤ人たちは持っておりました。つまりバプテスマのヨハネがイエス様を見たとき、イエス様は神の子でありましたが、人々のために罪の贖いの供え物とするために、この世に来られた「神の小羊」であることを強調したのです。
この小羊を捧げる行為は、ユダヤ教を成立させたモーセの時代まで遡ります。年代は約紀元前1500年ぐらいになるでしょうか。出エジプト記に書かれたその個所を読んでみますと、奴隷状態のイスラエルの民がエジプトを脱出する時、「家族ごとに小羊一匹を用意しなければならない。・・・その小羊は、傷のない一歳の雄でなければならない。・・・イスラエルの共同体の会衆が皆で夕暮れにそれを屠り、その血を取って、小羊を食べる家の入口に二本の柱と鴨居に塗る。そしてその夜、肉を火で焼いて食べる。・・・それを食べる時は、・・・急いで食べる。これが主の過ぎ越しである。その夜、わたしはエジプトの国を巡り、人であれ、家畜であれ、エジプトの全ての神々に裁きを行う。わたしは主である。あなたのいる家に塗った血は、あなたたちのしるしとなる。血をみたならば、わたしはあなたたちを過ぎ越す。わたしがエジプトの国を打つ時、滅ぼす者の災いはあなたたちに及ばない。この日は、あなたたちにとって記念すべき日となる。あなたたちは、この日を主の祭りとして祝い、代々にわたって守るべき不変の定めとして祝わねばならない。」
けれども、私たちクリスチャンにとっては、イエス様が、この過ぎ越しの祭りに、最後の晩餐で、十字架でご自身が流される血を表した葡萄酒と肉体を裂かれたパンを食するように命じられたのは、もはや動物の小羊でなく、イエス様ご自身が神の小羊となって、私たちのために血を流し罪の赦しと救いを与えてくださったことを意味しました。。だからクリスチャンにとって過ぎ越しの祭りはもう必要はありません。それはイエス様ご自身が全人類の罪の贖いのため流された血と、裂かれた肉体が、私たちの救いのためのしるしであり、私たちがイエス様の贖いの死を信じるとき、神の罪の裁きから救われ、解放され、素晴らし神の恵みとして、永遠の命を得られるようにしてくださったからです。
「神様は独り子を賜るほど、この世、私たちを愛された。それは御子を信じる者が一人も滅びることなく、永遠の命を得るためである」。誰が罪びとを救うために、自分の命を捧げて下さったのでしょうか。滅びに定められた罪びとであった私たちは、神の御子イエス様が命を投げだされことによって滅びから救われ、イエス様はその死より復活されて、私たちにが滅びることのない永遠の命を与えてくださいました。クリスマスの喜びは、神様が御子イエス・キリストを私たちにくださった喜びです。それ以上に、多くの方々が、主イエス・キリストの救いを信じて、神の御元に立ち帰るなら、更にもっと素晴らしいクリスマスの喜びがあることでしょう。